【I&S インサイト】オレンジの衝撃
―オランダの裁判所が民間企業にCO2排出削減を命じるー
DATE 2021.06.29
執筆者:福島紘子
「2030年までに二酸化炭素(CO2)純排出量を2019年比で45%削減することを命ずる」。オランダのハーグ地方裁判所(以下「ハーグ地裁」)が5月26日、世界屈指の石油大手、ロイヤル・ダッチ・シェル社(以下「RDS」)に下した判決(以下「本判決」)は、世界の関係者に衝撃を与えました。史上初めて、裁判所が民間企業に対し、地球温暖化問題に関する企業戦略の変更を迫る結果となったためです。日本でも各ニュースで取り上げられましたので、覚えておられる方も多いかもしれません。
今回の記事では、オレンジの国オランダを舞台とした本判決を振り返りながら、ビジネスパーソンにとって何がポイントになるかを考えていきたいと思います。
目次
1 事案のあらまし
2 本判決のインパクト
(1)人権をフックに民間企業にCO2削減排出義務が課されたこと
(2)CO2削減排出義務がサプライチェーンの隅々まで及ぶこと
3 本判決とビジネスのこれから
1.事案のあらまし
2019年、「地球の友」オランダ支部等の環境保護団体から構成される原告団が、ハーグ地裁にオランダ市民を代表してクラスアクション(集団訴訟)を提起し、RDSに対しCO2排出削減を行うよう命ぜよ、と求めました。およそ2年に渡る審理の末、ハーグ地裁は主に以下の点を考慮して、冒頭で述べたとおり、RDSにCO2排出削減義務を認めました。この義務に反した場合、RDSは不法行為(オランダ民法第162条)に基づく損害賠償責任を追及され得ることになります。
- 化石燃料の燃焼などにより生じるCO2排出が、地球温暖化問題を深刻化させていること。
- 第21回国連気候変動枠組条約締約国会議(COP21)や気候変動に関する政府間パネル(IPCC)などでの議論を通じ、国際社会ではパリ協定をはじめとする温室効果ガス排出削減に関する合意が数多く成立しており、CO2排出削減が喫緊の課題であること、また、CO2排出削減のためには国家の取組だけでは不十分であって企業の事業を通じての取組が必要不可欠であることが、世界の共通認識となってきていること。
- シェルグループが化石燃料市場の世界有数のプレーヤーであり、サプライチェーンも含めたグループ全体のCO2排出は、オランダをはじめとする多くの国をしのぐ量であること。また、RDSがシェルグループの親会社であり、グループ全体のCO2排出削減に関する企業戦略を主導できる立場にあること。
- 地球温暖化が進む中、とりわけオランダでは、世界平均の2倍のスピードで気温が上昇しており、オランダ市民の健康な生活を送るという人権が脅かされていること。
- 人権を守ることは、国連ビジネスと人権指導原則(UNGP)や国連グローバルコンパクトの企業と人権に関する原則、OECD多国籍企業行動指針などが示すように、国家だけではなく企業の責務であること。
以上のような判決は、ビジネスにとってどのようなインパクトを持つのでしょうか。詳細を見てみましょう。
2.本判決のインパクト
(1)人権をフックに民間企業にCO2排出削減義務が課されたこと
オランダは、以前の記事でも言及しましたとおり、環境問題に熱心な国です。EUに先駆けて、2019年の時点で既に、温室効果ガス排出削減目標に法的拘束力をもたせる気候変動法を施行させています。しかし本判決は、オランダ国内法制や国際社会での温室効果ガス削減に関する合意、あるいはオランダ国内における温暖化問題の深刻化といった環境問題の側面のみから直接、RDSにCO2排出削減義務を認めたわけではありません。実際RDSも、CO2排出削減を企業に求め得るのは政治や行政であって、裁判所ではないはずだと主張していました。
そこでハーグ地裁が加えたのが、人権という観点です。本判決以前に、既に2019年にオランダ最高裁判所が、地球温暖化は国民が安全に暮らすという人権の侵害であると判断していました。そして、国民の人権を守ることは、憲法上裁判所に求められる役割であるという考えを示し、オランダ政府に2020年までに1990年と比較して温室効果ガス排出を25%削減すべきだと命じました。地球温暖化が国民の人権を侵害しているからこそ、国民の人権を守るため、裁判所が国に対して温室効果ガス排出削減を命じることが正当化される、というロジックです。
ただ、RDSは国家ではなく一民間企業です。だからこそハーグ地裁は慎重に、1で挙げたような事実を認定し、CO2排出削減義務をRDSに課しました。
RDSは世界有数の大企業だから、このような重い義務を課されても致し方ない、と見る向きもあるかもしれません。しかしハーグ地裁は、「全ての企業は、事業規模や部門などにかかわらず人権尊重の義務を負う(判決4.4.15)」と断じており、規模の大小にかかわらず、人権の観点を軽んじることは許容されていません。
とはいえ、各企業に求められる対策まで一律のレベルが求められているわけではありません。そしてこの点では、1100もの企業の集合体であり世界160か国に事業を展開するシェルグループの親会社であるRDSには、「多くが期待され(判決4.4.16)」ることになります。ただ、ここで着目すべきは、RDSがかねてから時代の変化に応じて「慧眼」と称賛されるエネルギー戦略を描き、今年の2月には、自社の操業や電力消費などで生じる排出量のみならずサプライチェーンの全体(「スコープ3」)も含め、温暖化ガス排出量を2050年までに実質ゼロにするという戦略を公表し、同業他社との違いを見せてきた、という点です。そんなRDSの取組に対し、ハーグ地裁が下した判断は、遠い将来に向けた漠然としたものであり、その具体的進展は政府や他社の温暖化対策に左右されるという条件付のものであって、「自身の責任を軽視(判決4.5.2)」している、という厳しいものでした。
このようにハーグ地裁は、地球温暖化による人権侵害の程度、CO2削減に向けた企業の役割を極めて重視し、温暖化ガス排出を削減することのできる力を持つRDSに対し、削減に向けた具体的な企業戦略を構築せよという判決を下したのだと理解できます。
この判断に対して、あのRDSでだめならどうしたらいいんだと頭を抱えたビジネスパーソンも少なくないように思われます。
(2)CO2排出削減義務がサプライチェーンの隅々まで及ぶこと
さらにビジネスパーソンにとって悩ましいであろう問題が、侵害行為と認められた範囲の広さです。本判決で、人権侵害の対象とされたのはオランダ国民です。しかし侵害行為が行われたとされる場所は、オランダ一国に限定されていません。本判決によれば(判決4.4.54)、地球の裏側で行われた温室効果ガス排出であっても、オランダ国民の人権を同じように侵害しています。
さらに重要なのは、侵害行為の主体に関する判断です。ハーグ地裁は、シェルグループ自身が行った直接的なCO2排出(スコープ1)のみならず、第三者からシェルグループが購入したエネルギーの使用にともなう間接的なCO2排出(スコープ2)、さらにはその他の間接排出(スコープ3。以下図参照)までも、RDSの指揮下で行われたCO2排出であると認定しました。
出典:環境省「グリーン・バリューチェーンプラットフォーム」
審理でのそもそものRDSの主張は、実際に温室効果ガスを排出していたのは子会社であって自社ではないというものでした。しかし本判決では、グループ内の排出どころか、上流は購入製品・サービスの製造・輸送過程、下流はフランチャイズ加盟社による排出からエンドユーザーによる使用までもがRDSに帰責されるCO2排出、すなわちRDSによる侵害行為であると認定されました。本判決が企業戦略に与えるインパクトの大きさが伺えると思います。
(1)で言及しましたとおり、RDSはスコープ3までを射程に含めた温室効果ガス排出削減計画を自ら策定してきました。しかし言うまでもなく、企業の自主的取組と、裁判所から損害賠償の対象になり得るものとして排出削減義務を課されることの間には、明らかな違いがあります。実際RDSは、CO2排出削減の法的義務がスコープ3まで及ぶ点を激しく争ったようです。それでもハーグ地裁は、スコープ3まで含めることが国際社会で是認されていること、RDSがエネルギー・石油会社の分野で事業を行っており、スコープ3まで含めたエネルギー戦略を策定し子会社に実行させる能力を有すること、そして何より、シェルグループにおいてスコープ3での排出が85%もの割合を占めることを理由として、RDSに対し、サプライチェーン全体の温暖化ガス排出削減の法的義務を負わせました(判決4.4.19)。
ここでも、CO2排出による人権侵害の大きさを最重視し、企業が人権侵害回避のために取り組むべきことを前提としつつ、企業の能力に応じた対応策を求めるという判断枠組みが用いられていることがわかります。
3.本判決とビジネスのこれから
本判決に問題点がないわけではありません(実際、RDSは控訴を検討中のようです)。例えば、上述2(2)のサプライチェーン全体の法的な排出削減義務を認めたくだりにおいて、ハーグ地裁は、オックスフォード大学がまとめたわずか7枚のレポートのみに基づき、それがあたかも国際社会の総意であるかのように認定を行いました。2(1)で指摘したように、人権の観点を温暖化問題における民間企業の責任を認定するために導入した際には、オランダ最高裁判例や国際機関での合意を総動員してその正当化を行ったのとは対照的であり、やや勇み足だったきらいがあると言えます。
しかし個々の論点についてはともかく、また、法的義務まで認めるかどうかはともかく、企業には、自社あるいは自社グループのみならず、サプライチェーンも含めて人権を尊重する義務がある、という本判決の方向性については、時代の最先端をいく判断という評価はできても、行き過ぎとまでは言えないのではないかと思われます。
国連が企業に求めるべき人権尊重の基準を発表してから(UNGP)、10年が経ちました。本判決が指摘するとおり、気候変動に関する2015年のパリ協定においても、同年国連で提唱されたサステイナブルな世界を目指すためのSDGsにおいても、企業は既に、すべての人々の人権の実現に向けて主体的に行動すべき行為者として組み込まれています。人権を尊重する義務が国家のみに求められていた時代は、少なくともグローバルな潮流としては過ぎ去ろうとしています。
さらに最近では、企業に人権尊重の義務が課されることを前提とした上で、人権侵害の直接の原因となる事業を行う企業のみならず、当該企業をサプライチェーンのいずれかに組み入れている企業に対しても、責任が課される時代となりつつあります。日本はこの分野では遅れをとっていると言われており、現在、経済産業省を中心に、人権問題がビジネスにとってどれほど重要かという点に関する普及啓発を進めています。
サプライチェーンまで含めて人権尊重すべしとは、ビジネスにとって受難の時代だと思われる向きもあるかもしれません。ただ、新たなチャンスという側面もあります。といいますのも、詳述は別の機会にいたしますが、従来は定量化が難しいとされてきた人権問題への企業の取組の評価や格付けが進み、人権問題に取り組む企業に世界的な規模で投資が集まりつつあるためです(ESG投資)。国内でも、ESG投資に資本が流れつつあり、2015年と比べると約10倍の7000億円をこの分野に投資している機関投資家もあるほどです。
本判決は、確かにビジネスにとって厳しい内容の判決でした。しかし同時に、人権問題への対応をビジネスの軸とすべき新たな時代が、不可逆的に到来しつつあることも示しているのではないでしょうか。
以上
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